カインの悪夢
足元に倒れている暗黒騎士が、こちらを見上げてくる。俺は容赦なく手にした槍の切っ先を突きつける。
「なぜだっ……カイン……。まさかお前もゴルベーザに!」
やめろ。
「今、楽にしてやろう!」
やめろ! 俺の望みは本当にそんなことじゃ……!
槍を振り上げて、力を込める。口唇が笑みの形に歪む。
ああ、俺が見たかったのはお前のそんな――。
「……さん、カインさん! しっかりしてください!」
急に身体を揺さぶられて、意識が遠ざかる。聞き慣れた温かい声。遠ざかっていった意識が、再び身体に戻ってきた感覚を覚えて、俺はハッと目を開けた。
目の前には、桃色の長い髪を乱し寝間着に身を包んだ、幼い少女が今にも泣きそうな顔をして俺をのぞき込んでいた。
状況がいまいち掴みきれない。
少女は目を覚ました俺を見て、泣きそうだった表情をホッとしたように緩めた。
「ああ、よかった……。カインさん、分かりますか?」
「ここは……俺の部屋か」
「はい。だから、何も心配はいりません」
汗で濡れた俺の髪を優しく除けて、少女は微笑んだ。その微笑みに身体の緊張が解けて、俺は深いため息をついた。
「すまない……心配をかけた」
「いいえ。……こんな近くでカインさんを心配できることが、私には嬉しいです」
そう言って、不安を押し隠して無理に微笑んでみせる少女が愛おしくて悲しくて、俺は彼女を抱き枕のように抱きしめた。小さいのに、柔らかくて温かい。
「か、カインさん……!?」
「すまない、少しだけこのままで……」
「カインさん……」
おずおずと俺の背中に小さな手が回される。小柄な少女の小さな手では俺の背中を覆うことはできないが、それでも懸命な想いが伝わってくる気がした。
「大丈夫ですよ、カインさん……」
「ああ」
「少しだけと言わず、ずっとこのままでもいいです。……愛してますから」
「……ああ、俺も……」
顔の角度を変え、少女の顔を上向かせる。少しだけ開かれた口唇は幼い顔立ちには似つかわしくないほどに艶めいて見えた。
「俺も、愛してるよ、ポロム」
名を呼んで、口唇を重ねた。柔らかくてほのかに甘やかで、重ねるだけで体中の血が沸騰しそうな想いがする。
俺が求めていたものはきっとこういうもので、もしそれがあのとき満たされていればどうなっていたのだろうか。……それでも、どこか満たされぬ想いを抱えたまま年月だけが経っていたのかもしれない。
いや、過去は過去だ。「もし」に意味などない。受け入れ、抱えて生きると決めたあの時から覚悟はできていたはずだ。
――一緒に支えたいと言ってくれるひとが現れるところまでは、考えていなかったが。
俺は、このひとに負担を強いてはいないだろうか。共に支えたいと言ってくれるひとを、今度こそ傷つけたりしたくはない。いつも「大丈夫」と言って笑うようなひとだからこそ。
口唇を離して見つめ合う。顔を赤くして、そっと視線を外すポロムを見ていると、表情が自然と緩む。
「大丈夫か」
「だ、大丈夫です……。まだ少し、恥ずかしくて」
「俺を悪夢から呼び戻してくれたときにはあんなに近くでのぞき込んでいたのにか」
「あ、あれはまた別ですからっ」
すっかり縮こまってしまったポロムを抱き寄せ、髪を撫でる。
「これなら、目が合わないから大丈夫か?」
「そ、それはそれで少しだけ寂しいです……」
ハハ、と思わず笑みが漏れた。
ああ、特に根拠はないがこうしてポロムを抱きしめていれば大丈夫なんだろうと思える。だって彼女は俺を見ていてくれるから。俺が間違えそうになったときは、いち早く見抜いてくれるに違いない。そして、俺も。
「あ、あの、カインさん」
「何だ?」
「すごく汗をかいてらしてるので……一度お着替えになった方がいいと思います。服が冷たくなっているように感じますわ」
「ああ、そうだな……」
うなされていたせいで全身が汗だくだったのを今更思い出した。満たされた気分を手放すのが少し惜しくなって、今度は素直な欲望が首をもたげて来る。
ポロムから少しだけ身を離して、ベッドに彼女を組み敷いた。
「ポロム……明日は早いのか?」
「か、カインさん?」
「どうせ脱ぐのなら、もう少しだけ付き合ってほしくなってな」
「カインさんこそ明日に響きますよ……」
「そんなヤワな鍛え方はしてないさ」
首に小さな手を回してこられたのを肯定の返事と受取って、俺は彼女の首筋に顔を埋めた。甘い声と香りが、今度は俺の意識を甘く痺れさせていくのがただただしあわせだった。